ストゥーパのテラスから本殿のある山腹に向け、急な石の階段が続きます。
 石段を昇りきると開けた台地にでます。
 山腹の岩壁前に広がる本殿の境内です。
 
 ここから、昇ってきたところつまり東側のメコン方面を見ると素晴らしい眺望が開けていました。
 南北宮殿、聖池に挟まれたリンガの結界石に護られた参道、暁のテラスとその先に広がる広大な南バライ。
 さらにその先には、チャムパーサックの小さな街が続きます。
 メコンの向こうには、ボーラウェン高原まで見渡すことができました。
 この眺望だけで、ここに来た甲斐があります。

 山腹に上がる階段の先には木々に囲まれて本殿がありますが、その本殿の北側の林の中には巨石や露出した岩にゾウや人型ワニや蛇の型を刻んだ彫刻が散在していました。
 クメール人の作った遺跡群とは時代や様式がかなり違うもので古い土着の宗教的なもののようです。

 今日は、山腹に上がる階段とその上からの眺望、そしてこの巨石の彫刻群を紹介します。

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<11/01/29撮影 ワット・プー D700 VR 16-35mm F/4G>
 ストゥーパのテラスから山腹部へ昇る階段です。
 手前の位置には楼門があった様ですが、今は石材が無造作に置かれているだけです。
 写真左手の大きな段々は、斜面が崩れるのを防ぐ石の擁壁です。
 擁壁の上は、奥行き1.5~2mほどのテラスになっています。
 7段の擁壁-テラスがあり、各テラス間に11段の階段が設けてありますので、上の山腹の境内のところまで計77段の急な石の階段が続いていました。

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<11/01/29撮影 ワット・プー D700 VR 16-35mm F/4G>
 この階段を降りるときに撮った写真ですが、各石段の段差はクメールの遺跡の例に漏れずかなりあり、昇るのに一苦労で、下りはもっときつくなります。
 写真でも横になって降りられる方の様子が分かりますね。

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<11/01/29撮影 ワット・プー D700 VR 16-35mm F/4G>

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<11/01/29撮影 ワット・プー D700 VR 16-35mm F/4G>
 石段を登りきると眼下には、雄大な眺望が開けます。
 参道が、南バライを越えてずっとメコンのほうまで続くのが見えます。
 メコンの向こうに遠く広がる低い山並みはボーラウェン高原。

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<11/01/29撮影 ワット・プー COOLPIX P7000>
 かつて、カオプラヴィハーンの山頂主祠堂の先の絶壁から観た、数百メートル下に広がるカンボジアの緑の平原の景観も素晴らしいものがありましたが、このワット・プーの遠く続く参道とその向こうのメコンの景観も負けずに素晴らしいものでした。

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<11/01/29撮影 ワット・プー D700 VR 16-35mm F/4G>
 階段を上がった境内の北側の林の中には、こうした巨石や岩盤が露出したところがところどころありました。
 その中には、この様に動物をかたどったものや階段などを彫ったものが残っていました。
 これらはクメールの文化より古いといわれていますが、詳細は分からないようです。
 これは、ゾウ石と呼ばれるオスのゾウを彫ったもの。

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<11/01/29撮影 ワット・プー D700 VR 16-35mm F/4G>
 同じゾウ石です。

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<11/01/29撮影 ワット・プー D700 VR 16-35mm F/4G>
 なんらかの宗教的な遺構があったと思われますが、今はこうした加工された石が散乱しているだけです。
 これは階段の跡でしょうか。

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<11/01/29撮影 ワット・プー D700 VR 16-35mm F/4G>
 なんともかわいらしい顔の蛇に囲まれた階段です。
 ナーガとして発展する前の階段の装飾でしょうか。

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<11/01/29撮影 ワット・プー D700 VR 16-35mm F/4G>
 ツチノコだと呼んでいた方がいましたが、まさにナーガというよりツチノコですね。
 とっても素朴な感じがして好感が持てます。

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<11/01/29撮影 ワット・プー D700 VR 16-35mm F/4G>
 一転、恐ろしい彫刻です。
 7世紀の中国の「随書」に記述のある真臘(チェンラ)の都近くの王が生贄の儀式を行っていた神祠の跡か、この地に残る美女を生贄にしたという伝説の場所か、このワニをかたどった石板は明らかに人が仰向けに両手、両足を広げ寝かされたと見られる溝が掘り下げられている。
 また、右足の先や、ワニの尾先には液体が外へ流れ出る溝が彫ってあり、ここから生贄の血が流れたのかもしれない。